ゆじらぶろぐ

構成作家。ライター。文章と言葉で誰かの楽しみを作りたいです。

プラス・マイナス!ジャルジャル!銀シャリ!ネタで生きられる盤石世代!

NSC大阪25期
同期の3組であるプラス・マイナス、ジャルジャル銀シャリ

このお笑いコンビ3組の共通点をお分かりでしょうか?

ネタで食べていける。


以上。
言いたいことは終わりなのですが

せっかくなので、もう少し追記します。

よく、「この世代は黄金世代だ」
みたいに称される世代がありますが
この3組の漫才、コントで生きていけるポテンシャルを考えると
こちらの世代も、かなりの黄金世代なのでは…?

売れっ子を数多く輩出する世代も凄いですが
ネタで生きていける世代も相当凄い。

「芸があるから芸人」
「芸事で生きていくから芸人」
だとすれば

この3組は芸人の中の芸人。

 


まず、プラス・マイナスと言えば劇場番長と呼ばれるほどに、とにかく漫才がウケる。

漫才中、笑いの渦がうねりまくる。
今や劇場番長というより、もはや漫才番長。
漫才師としての地肩がエグすぎる。
そのベースにあるのは、確かなフリートークの力。

そう、平場の強さが、そのまま漫才にも反映されている。
実は、これができそうでできない。
フリートークのテンポ、間、構成力。
それをそのままネタにスライドさせることは意外と難しい。

なんとなくネタには型があり、その型を体が覚えると、漫才師は漫才仕様のしゃべりとなってしまう。

これは決して悪いことではなく
ネタとは元来そういうものだとも思う。

ただ、プラス・マイナスはトークや平場で見せる魅力が、そのまま漫才に活かされている。
その最大のメリットは…
"ニンの力"で笑わせることができる。

人の魅力で戦えることは最強の武器。
極端なことを言ってしまえば、しゃべった内容が的を外したとしても笑わせることができる。
もう、そうなれば怖いものなしだと言ってもいい。

以前、プラス・マイナスに関しては
こんな記事を書いております。


お笑いの世界はダイアンとプラス・マイナスが10年後に勝っているという内容ですが
この記事の中ではプラス・マイナスがM-1グランプリに1度も出られなかった件にも言及している。

ただ、もしも出ていれば…と仮定して
2018年がプラス・マイナスのラストイヤーなので、事実上不可能なのですが
もし、2019年の神回M-1グランプリにプラマイが出ていたら…確実に神回を超えていたと思われます。

ミルクボーイ、かまいたち、ぺこぱ、プラス・マイナス。
この四つ巴が雌雄を決するM-1は伝説以外の何物でもないです。

そして、ネタ終わりの平場でもめちゃくちゃ光ったでしょう。
巨人師匠の寸評に巨人師匠で返す兼光さん。
隣でツッコんでからかぶせる岩橋さん。
もう、その時点で優勝。財布パンパンやね。

何より、M-1に芸人人生の全てを捧げる裏ミスターM-1こと、ゆにばーすの川瀬名人が最大限のリスペクトをしている漫才師がプラス・マイナスである。
もうその事実だけで全てを物語る。

M-1には出られなかったが、プラス・マイナスは漫才の王者です。

そして、2020年のキングオブコントを制したジャルジャル
もはや優勝する前から誰もが認めるコントのキング。
一体、頭の中どうなってるんですか?ランキング1位のコンビ。

ジャルジャルは2020年のキングオブコントを本気で勝ちにきていた。
それはネタを見た瞬間に誰もが思いましたが
よく、考えるとキングオブコントなんて全出場コント師が本気で勝ちにいくに決まっている。

しかし、その勝ちに行きかたがジャルジャルと他のコント師では違う。

ジャルジャルは、おもしろいコントを披露する戦いに参加しているのではなく
どうすれば伝わるかの戦いに見える。

クオリティーの高いコントを量産していくうちに、どう合わせにいくか…という地点まで達してしまった。

すでに勝ってはいるけれど、その事実をどう理解してもらうか?
極端に言えば、ジャルジャルだけ参加している競技が違う。
これは他の出場コント師たちも分かっていることだろう。

どれだけレベルの高いコントを作り続けても
なかなか、そこまでの域には達しない。
ライバルとも言える芸人たちがここまで格の違いを認識していることはめずらしい。

だが、一方で…ジャルジャルのコントは「理解できない」と賛否両論を生む場合もある。
ネットの書き込みや周囲の友達から
そんな意見が出てくることは意外と多い。

しかし、理解できない人たちがいることの大切さ。

これは長くなるので、また別の機会に書こうと思います。

さらに、ジャルジャルは進んでひな壇には出ない。
自分の得意な場所をハッキリと決め、そこを自分たちの戦場にする。
ひな壇で笑いを取ることが難しいなら、ネタで笑いを生みまくる。

これこそ、誰にも迷惑をかけない誠実な芸人道。
苦手を公言しながら出続けることは生き様として不誠実。
得意な場所だけに絞って、きちんとお笑いをやって人々を笑わせる。

これぞ単純明快かつ、お笑い芸人の鏡です。本当に。

そして
漫才、コントの二刀流を駆使するジャルジャルではあるが、私の中では100%コント師

漫才の場合は従来ある漫才の型をフリにすることが多く、それはそれでめちゃくちゃ面白いのだが
そのセンスは全てコントに活かせる。

ジャルジャルM-1では勝ちきれなかったが、勝ちきれなくてよかったとも思う。
『どこまで型を崩していいのか論争』は意見が割れるところだが…
やはりM-1は漫才師たちによる漫才の祭典。

ジャルジャルが1番輝く戦場は
センスがパンパンに詰まった人たちに向けた自由度の高いコントだと私は個人的に思います。
そのステージに出れば、ジャルジャルが負けることはない。

最後は銀シャリ
M-1グランプリ2016のチャンピオンだ。

M-1グランプリも大会によって様々な色があるが、2016年大会はツウをうならせるM-1グランプリだったと個人的には思っている。

簡単に言えば、2016年はテクニックの大会だった。

「とにかくおもしろい漫才」という審査基準が設けられてはいるが、その"おもしろさ"をどこで測るのかは本当に難しい。

当たり前の話だが、笑いの世界に満場一致はない。
時に審査員の満場一致はあっても、日本国民全員の満場一致はなく
100メートル走のタイムのように笑いは数値化できないのだ。

そんな数値化できない漫才をムリヤリ数値化していくのがM-1
本来できないものにムリヤリ点数をつけて勝敗を決めているがゆえ、M-1においては審査員の出す点数が全て。そこに異論がつけこむ隙はない。
笑いの勝ち負けに明確な正解などないので
選ばれし審査員のジャッジに文句をつける人間は、M-1に出る資格もなければM-1を語る資格もない。

そんななか、銀シャリの優勝で幕を閉じたM-1グランプリ2016は手練れの漫才師たちのテクニックを存分に見せつける大会となった。

テクニック論には賛否あるかもしれない。
漫才は技術ではなく笑えるかどうか。
巧さではなく面白さ。
そんな意見も時折散見する。

しかし、技術があるから面白い。笑える。
ここを忘れてはいけない。

巧いから高得点ではない。
巧くて笑えるから高得点なのだ。

技術の応酬で刀を振り回しあった結果…
最後に勝ち切った銀シャリの漫才。

絵に描いたようなThis is MANZAI。

漫才も、あの手この手で細分化されていくなか
しゃべくり漫才の王道をひた走る。
ふってボケて笑いが生まれて
ツッコんで笑いが増していく。
シンプルかつクラシカル。

そのネタ運びの巧みさと構成力。
老若男女で埋まったパンパンの会場が笑い声で包まれる。
「あ〜、これか。漫才って」
そんな当たり前なことを呟きたくなるプロの漫才師。

またプラス・マイナスとも違った形の漫才番長。

東のナイツ。西の銀シャリ
東の壁はかなり高いが
いつか、そう言われる日が来るかもしれない。

 

 

今は完全なる芸人多様化時代。

笑わせることを本業としない芸人も増え
芸事を生業としない芸人もいる。

時代の流れと言えばそれまで。
生き様の違いと言えばそれまで。

たしかに、芸事で人々を笑わせ続けることは難しすぎる。その戦いから降りてしまう気持ちも分からなくもない。
今の時代は芸人の肩書きを背負ったまま、他の道へと転職できる。
ある意味では便利な世の中になったのかもしれない。

でも、本来なら芸事で人を笑わせるのが芸人。

現代において、その当たり前は消えつつあり
進む道も人それぞれ。

そして、良くも悪くも人それぞれを受け入れる世の中になった。

だからこそ
プラス・マイナス、ジャルジャル銀シャリ
同じ期に『芸事で人々を笑わせ続けられる芸人』が3組出てきたことには大きな価値を感じざるをえない。

今年はコロナによって、劇場にお客さんが入れなくなる前代未聞の事態となった。
お客さんありきで提供してきたエンターテイメントは考え直さざるをえないキッカケにもなるが
仮に「舞台に立ち続けていれば大丈夫」という説は崩れ去ったとしても…
ネタを量産できる力、芸事を極めていく力が普遍的かつ笑いの世界において絶対的であることに異論の余地はない。

その才能は何かしらの形で活かせる。

だからこそ

もう1度言うておきますが
この3組はおそらく

ネタで食べていける。

ビジネスモデルとかマネタイズとか
小難しい話もいいですけど
芸事で人々を笑わせる人が芸人だということも
お忘れなく。