ゆじらぶろぐ

構成作家。ライター。文章と言葉で誰かの楽しみを作りたいです。

M-1グランプリ論〜人気者を批判する恥ずかしさ〜

M-1の準々決勝の動画がGYAOYouTubeなどで公開されており、非常に有意義な時間の潰し方ができております。

各漫才師たち、驚くほどネタのクオリティは高く、様々な手法を駆使し、M-1に賭ける熱い気持ちがステージから溢れ出ております。
本当に見応えがハンパじゃないです。

やっぱりM-1はスゴイなと…シンプルに思わせてくれるのですが

ちょっと気になることが一点…

YouTubeに上がっている準々決勝の動画、
人気者の漫才動画にバッドマークの数が多い。

ん?気のせいか?と思い、他の人気者の動画をチェックしても、明らかにバッドマークが多い。

これは人気者や第7世代と呼ばれている漫才師たちに対してのアンチ活動の一環なのか…

以前、アンチを都合よく使うことに対しての記事をnoteに書いたこともありますが、人気者のM-1動画にバッドマークを押す行為は本当のアンチによるものが多いだろう。

 

https://note.com/yujiliko/n/nac468f1e2702

 


ハッキリ言わせてください。

人気者を批判するのはカッコ悪いぞ。

そもそも、人気者が出来上がっていくまでの道のりを考えたことあるでしょうか。

いきなり宝くじが当たったように捉えてないですか?

人気を獲得できることは、どんな世界であっても評価されるべきです。

人気なんて出したくても出ません。
芸人なんて人気者になりたい人だらけです。
当たり前です。
誰だってキャーキャー言われたいに決まっています。

だから、人気が出るのは才能であり実力です。

みんながやりたくてもやれないことをやっているわけですから。

「あれはただの顔ファンでしかない」
など、見た目で判断することに対しても、お笑いファンの人はやたらと厳しい。


でもね、もし顔ファンだったとして…それがなんでダメなの?

だって、観てる人からすれば、ただの娯楽ですよ。
なぜ、観てる側が縛られないといけないの?
どう観るかまで自由にしちゃダメなの?
いくらなんでも息苦しすぎないか。

さらに言えば、見た目だって芸の一部でしょ。
それを活かして面白く見せる工夫もあれば、その華やかさだって1つの武器でしょ。

じゃあハゲネタは?
ってことにもなります。

それぞれにそれぞれの特徴を活かして何がいけないのか?

もちろん、ネタの好みはあります。

「自分には合わない」
「全然笑えない」

それは自由。


だけど、わざわざバッドマークは押さなくていいよ。

これは、お笑いマニアの1番悪いところですが
テレビで売れている人や女子人気が高い芸人への偏見が強い。

例えば、今回のGYAOM-1動画で実施されていたワイルドカード
再生数の多さで決まるみたいなシステムですが、これでもし人気者や第7世代が勝ち上がったとしたら…

熱いお笑いファンが目も当てられないほど憤慨することは想像できる。

「はい組織票!」「M-1終了!」

とか、SNS等々で書き殴るのでしょうけど
気づいてましたか?

いつのまにか、それは逆差別になっているんです。


本当に実力があったとしても人気者は認められないということ。

真のお笑い好きなら、そこはフラットに見ないとダメでしょ。

「フラットに見て面白くないんだよ!」
って言う人もいるでしょうけど
それはただの好みの話。

あなたの好みは正解じゃない。
お笑いマニアは、お笑いに詳しいかもしれないけれど素人なんです。

熱いお笑いファンだとしても、ただの1人の素人にしか過ぎません。

たくさん再生されて1位になれば誰も文句のつけようのない勝ちなんです。

M-1は予選からプロの審査員が見ています。
審査結果に対しても、いろいろ言いたい気持ちは分かりますが、プロの見立ては間違いないのです。

なぜ、プロの見立てが間違いないのか?

本来、面白いものに優劣などつけられないからです。
優劣をつけられないものに優劣をつけるのがM-1グランプリ

そりゃ、「これで準々決勝落とされたの!?」って驚いてしまう面白ネタは僕から見てもありますよ。あって当たり前です。

でも、それが好み。
私も一応プロですが、プロの中での好みだって千差万別。

好みの差はあっても、プロの審査員がジャッジして勝敗を決めていくのがM-1のルール。
そのM-1ルールに則っているだけの話。
だから、M-1という大会においてはプロの審査が正解。

もっと言えば、M-1の決勝に関しては
群雄割拠の芸能界、お笑い界を自らの能力で勝ち上がってきた笑いの一線級の審査員が並び、都度都度点数を出して責任を持ってチャンピオンを決めます。

「もうこの人たちの好みに合えば、それが正解」

その単純明快かつ有無を言わせないストロングスタイルがM-1グランプリの基盤を支えている。

ある意味、ミシュランの調査員が覆面調査員ではなく、名乗り出て料理を品評しているようなもの。

それだけの説得力の上にM-1グランプリは歴史を積み重ねてきた。
ゆえに、別格であり夢舞台なのだ。


そんななか、M-1でプロのジャッジが入らないのがワイルドカードと敗者復活戦のたった2つ。

1つの大会を通して、プロの判断と一般の判断。
ちょうどいいバランスだと個人的には思います。


だから、人気者だからどうとか…女子ウケだからどうとか…本当に失礼な話だ。
そんなちっぽけなことには全く意味がない。

知名度があるメリットもあれば、知名度がないメリットもある。

いちいちカリカリして観るものではない。

出場漫才師は真剣。審査員も真剣。スタッフも真剣。

それでええと思います。漫才やもん。お笑いやもん。

観てる人は気楽に楽しんで、友達や家族とワーワー盛り上がったらいいと思います。

売れていない人に日が当たる。
それは最高のM-1ドリーム。

すでに売れている人が漫才に全てを注ぐ。
それもM-1の魅力であり魔力。

誰が勝っても、誰が負けても

「やっぱりM-1おもろいなあ…」

「漫才師ってカッコいいなあ…」

それでいいんです。

だって、フラットに観れば実際そうなるんだから。


そして、人気者には人気者になる理由もある。
それは絶対的に表現者として実力の一部。
魅力があるから支持されている。

ただ、カッコいいだけで勝てないこと。
ただ、人気があるだけで勝てないこと。
ただ、売れているだけで勝てないこと。

アンチにとやかく言われなくても
その厳しさを1番知ってるのは舞台上で血の汗流して戦っている当の本人たちなんだよ。

最後に、まとめますと
人気者を色眼鏡で見ないほうがモテるんじゃねーかと。モテたほうが人生楽しいんじゃねーかと。

わかんねえけど。

アホみたいな結論で終わりまーす!