ゆじらぶろぐ

構成作家。ライター。文章と言葉で誰かの楽しみを作りたいです。

全員に敬語を使うことで人生が好転する話

全ての人に敬語を使うと人生が変わる。

敬語は日本人特有とも言われますが、大人になっても敬語を完璧に使いこなせるわけでもなく、「それは敬語になってない」なんて注意を受けることもある。

「了解しました」は敬語ではなく
「承知いたしました」が正解。

「ご一緒します」は敬語ではなく
「お供します」が正解。

「どうします?」は敬語ではなく
「いかがなさいます?」が正解。

うんうん、まあそうかもしれんけど「面倒くさいなー」とも言いたくなる。

だが、この敬語というやつはなかなか侮れない。

もし、本当に敬語が日本人特有だとすれば、敬語を使えることは日本人に生まれたメリットとも考えられる。

そして、それは長い目で見た時…劇的に人生を好転させる言葉使いだという真実を私は知りました。

しかも、上記に記したような正しすぎる敬語を使う必要はなく、何となくの敬語っぽさを日々使っているだけで人生が変わる。
敬語っぽい言葉なら、日本人のほぼ全員が使える。
それなら、日本人に生まれたメリットを存分に使いたい。

これまで私は相手の年齢によって敬語、タメ口を使い分けている傾向があった。

ちなみに芸人さんの場合は、確実に芸歴が全て。
年齢は一切関係なく、業界に入った順番が先輩後輩の関係を作る。
先輩には敬語。同期、後輩にはタメ口。と、基本的にはその線引きが分かりやすい。

おそらく、会社勤めの方たちも先輩後輩は明確だと思います。

だが、私のようなフリーランス構成作家の場合は「何年目」と明確にキャリアを数えることは難しいし、相手のキャリアも分からない場合がほとんど。
だから、年齢を聞いてタメ口と敬語を何となく使い分けてきたのだが…

持論だが、断言しよう。

全ての人間に敬語を使えば人生は好転する。

もちろん、家族や恋人は別。
友達は微妙。これまでずっと仲の良い友達なら、いきなり敬語はおかしいかもしれませんけど、新規で知り合えば敬語が良い。どれだけ年下でも。

人生を悪化させる原因は間違いなくストレス。

ストレスがあるから人は悩む。
ストレスで老けこんだり、眠れなくなったり…
もちろん、良いことなど何一つない。

しかし…

目の前にいる全ての人に敬語を使うだけで、ストレスの二大巨頭を少し軽減できる。

もちろん「少し」だけど、少しでも積もり積もれば大きい。
ストレスなんて百害あって一利なし。
可能ならば、できるだけ取り除きたい。

では、敬語を使うだけで、人生の何がどのように好転するのか?

細かく、説明させていただきます。

まず、ストレスの二代巨頭の1つ目。
人間関係だ。

確実に悩みごとランキングの上位に食い込むのが人間関係。
上司との軋轢…職場の人間とソリが合わない…そういった悩みに敬語の効果があるかと言われれば、それはない。

だが、なんとなく飲み屋などで知り合った若者、ママ友、職場の後輩など、本来敬語を使う対象にはならない人たちに敬語を使うことで人間関係のストレスは少し軽減される。

その理由を考える上で、まず着目したいのが、そもそもタメ口とは何なのか?タメ口の効果、意味から考える必要がある。

「もう今からタメ口でいこうよ」という提案をする人がたまにいるが、それは「もっと仲良くなろうよ」「もっと距離を近づけようよ」と、同義語である。

それはそれで何の悪気もなく、ポジティブな意味なのは理解できるのだが…
この「もっと仲良くなる」「もっと距離を近づける」という行為が時にクセモノになる。

人と距離を近づけて仲良くなること自体は素晴らしい。
だが、その素晴らしさはトラブルを生みやすい状況と表裏一体。

タメ口になることで人はフランクにもなり、心も開きやすくなる。
ゆえに、悩みごとや過去の話などもするようにるなる。

様々なことをお互いに共有し、そうやって人は仲を深めていく。

しかし、深まった関係性は同時に失言を生みやすい。
相手の懐に入ることは、踏み込んだ発言を誘発する。踏み込んだ発言の中に、失言は存在している。

失言をされるストレスはタメ口を使い合うことから生まれる。

では、敬語を使う間柄なら失言はないのか?と聞かれれば、そんなことはない。敬語同士の関係性でも失言は存在する。

だが、タメ口の失言と敬語の失言では、ほとんどのケースで種類が異なる。

敬語の失言に関しては、確信犯である可能性が高いのだ。

一概には言えないが、敬語の間柄で失言が出てきたということは、そこに至るまでにそれなりの理由がある。
何かしらのフラストレーションを溜め込み「今日は言ってやろう」と、どこか決めた上で、あえての失言を発している場合が90%だと思われる。

しかし、タメ口の失言に関しては『うっかり失言』が多い。

そんなつもりはなかったんだけど…と、後からなるパターンは、ほとんどがタメ口の失言から生まれている。

もちろん敬語の失言もきついが、確信犯で放り込まれたとすれば、こちらにも非はある。
何かしらのストレスを相手に与えた結果、返ってきたカウンターパンチならば納得せざるをえない部分もある。

しかし、『うっかり失言』はアクシデントである。
人によって地雷は異なり、自分にとっては失言でも他の誰かにとっては失言だと思わない場合なんて多々ある。

例えば、普段は全くメイクをしない女性がいたとする。その女性がめずらしくメイクをしてきたので「あっ、今日メイクしてきたんだ」と話しかけ、「うん、今日はメイクしてきたんだ」という言葉に対し「あんまり変わんないね」と返したとする。

さあ、これは失言でしょうか。

あんまり変わらない…えっ、化粧しても意味ないってこと!?と捉える人もいる。

あんまり変わらない…じゃあ、すっぴんとメイクしてるのが、ほぼ同じってことなら嬉しい!と捉える人もいる。

全く悪意はなくても、失言に転がったり褒め言葉に転がったり…いちいち面倒くさい。

だが、こんなしょうもないことで心を痛めることが、いちいちストレスになる。

この例えだが、おそらく敬語同士の関係性なら生まれなかったと推測される。

「あっ今日は、お化粧されたんですか?」
はあったとしても、その後の「あまり変わりませんね」は敬語ならば出てこない。

敬語ならば「いいですね」など、無難な言葉になっていく。フランクな言葉使いをする間柄だからこそ、「あんまり変わんないね」が出てくる。

『失言される側』としてのストレスだけでなく、『うっかり失言をしてしまう側』だってストレスになる。

こういった、うっかり失言にまつわる諸々の面倒を回避できるのが敬語の力。

それと、もう1つ。

タメ口から誘発するのが頼まれごとである。

「新しくパソコン買ってんけどさあ、ちょっと家まで設定しにきてよ」

「海外行くんだったら、日本より安いからこの財布買ってきてもらっていい?お金は後で渡すから」

ごめんなさい。面倒くさいんだわー!

こういった頼まれごとも敬語の間柄からは生まれにくい。

言葉使いのフランクさは人間関係のフランクさにも反映されていく。

頼みごとをできるほどの関係性ではないな…といちいち頭で考えるのではなく、人は感覚で気がつくものだ。
その感覚を植えつけるのは、普段の言葉使いの要素が多分に大きい。

そう、失言にせよ頼みごとにせよ…

「この人にはここまでのことは言えないな」
「この人にはここまでのことは聞けないな」

それを肌感覚で人にお知らせする装置が敬語なのだ。

敬語は人間関係の中で起こりえる
些細な面倒くささから身を守る盾になる。

そして、ストレスの二大巨頭、2つ目。
お金だ。

「お金がない苦しみは人生で1番つらい」と、メンタルの専門家に聞いたことがある。
たしかに、お金がなければ人は生きていけない。
今の時期は、コロナショックでお金に困る業種の方もたくさんいるだろう。
私だって例外ではない。本当にお金のストレスは心身ともに、とてつもなく疲弊する。

もちろん、ストレスの1番手は健康だと思う。
何事も健康第一なのは間違いない。

しかし、その健康を維持するのでさえも、お金を必要とする場面は多い。
ゆえに、お金のストレスは人生の全てに影響する。

だが、敬語とお金…なんの関係があるの?
なぜ、全員に敬語を使えばお金のストレスが少し軽減されるの?
という疑問は誰もが持ちそうだ。

敬語を使うことで商売がうまくいく?
敬語を使うことで取引先に気に入られる?

いや、それは知らない。
知らないというか、そういった関係性は基本敬語だと思う。

私が冒頭で言った「年上なら敬語」「年下ならタメ口」という私の敬語の使い方。

これが、お金と関係していくという話である。

例えば、仕事相手でも知り合いでも、年下とゴハンに行けば私はタメ口でしゃべる。
ゴハンに行った年下の相手は私に敬語を使う。

そして、支払いの時…
どうしても一方的にタメ口を使っていた私が全額を支払う流れになる。

そう、自分がタメ口で相手が敬語だと奢ることに何の違和感もなくなる。

この積み重ねはバカにできない。

ケチっぽいけど、ケチで言っているわけじゃない。(なんかダサい)

よく考えたら、直属の後輩でもない、弟子でもない。キャリアも何年同士か分からない。

年齢が上だというだけで、毎回全ての支払いをするのって実際どうなんだろう?

だけど、そんなこと言えるはずもない。
お会計の時に「割り勘でいい?」なんて言えるはずがない。
そんなことを口走った時点で、めちゃくちゃ陰口を言われる未来は確定する。

しかし、これがお互い敬語だったらどうだろうか?

「半分払いますよ」「大丈夫ですよ。僕出しますから」「いやいや、割り勘でいきましょうよ」

お互い敬語でなければ、こういったやりとりは生まれない。

相手にタメ口を使っていることで『先輩後輩感』もしくは『上下関係』が擦り込まれてしまうのだ。

この後輩感が年下サイドに擦り込まれれば、「ごちそうさまです!」という言葉が自然に出てくるようになる。

この感覚を自然と生まないことが、全てのお支払いを回避する道筋となる。

言ってて情けなくなってきたが…
本当のことだから仕方がない。

良いカッコするわけではないが、私は今までめちゃくちゃな額を奢ってきた。

キャリアは同じくらいでも相手が年下ならば、基本的に私はタメ口を使いながら奢ってきた。

特に芸人は芸歴が明確だ。
私のキャリアと比較した時「あれっ、この子先輩やん」と、気づく場合もある。
私のほうが少し年上だけど、この芸人はキャリア的には先輩に当たる。
それが分かった場合でも、私はあえてタメ口を使い続けた。
なぜなら、私が全額支払いをしてあげたかったからだ。
いきなり「すみません!僕、後輩でした」と言われても、相手は困るだろう。「えっ!じゃあ支払いは全額オレ?」と思わせるのも忍びない。

逆に気を遣って私はタメ口を使い続けてきた。
気持ち良く奢ってもらってほしかったからだ。

しかし、結婚すれば、そこまでお金をボンボン使うことも難しくなる。
こういった交際費は本当バカにならない。
4、5人連れていって数軒飲み歩けば、10万近く使う時もある。

もちろん、生きたお金は大切。節約ばかりが素晴らしいとは全く思わない。

だが、実際にお金が出て行っているのは事実。

これは、お金を貯めておくのなら…という話。

さらに言ってしまえば、年齢は時間の経過と共に絶対上がっていく。天地がひっくり返っても、これから年齢が下がることはない。
ようするに、時間が経てば自然と周りは年下が多くなる。

年下にタメ口を使っていると、奢らなければいけない場面ばかりで人生が埋め尽くされる。

そうなった時に後悔しても遅い。
早めの段階で、年下にも敬語を使うクセを作っておくべきなのだ。

「たくさんお金を使っていると、あとで返ってくるから」みたいな成功者っぽい言葉は一旦置いといて…
これは、お金を使わない方法として、敬語が威力を発揮するという話。

実際、今は前代未聞とも言える不測の事態となり、散々奢ってきて後悔している人も少なくないと予想される。

敬語は交際費の出費を防ぐブレーキになる。

敬語を使うことくらいで、ほんのちょっとでもストレスを軽減することができるのならば、それに越したことはない。

良くも悪くも私たちの人生を振り回す
人間関係とお金。

この2つは一生ついて回る。長い目で見たとき…敬語が自分を助けてくれる可能性がある。

今日から知り合う全ての人たちに敬語を使ってみれば、少し人生が好転するかもしれません。

お分かりいただけたでしょうか?
ちなみに、これも敬語じゃないらしい。
正しくは
『ご理解いただけたでしょうか?』

あー、面倒くさ!

けど、敬語は素晴らしい。