ゆじらぶろぐ

構成作家。ライター。文章と言葉で誰かの楽しみを作りたいです。

お笑い界=ヒップホップ説

ラップを駆使してお互いを罵り合うMCバトルが若者を中心に流行りだしてから、もう数年は経つだろうか。

フリースタイルダンジョンが地上波でレギュラー放送し、BSスカパーのBAZOOKA高校生ラップ選手権の盛り上がりなどがバトルブームの火付け役だと思われるが、それをキッカケに日本のヒップホップというジャンルが堂々と市民権を獲得したと言える時代になった。

今回、ここで論じたいのはお笑いとヒップホップの共通点についてである。

ナイツ塙氏の漫才考察本「言い訳」の中で、関西の漫才はロック、お笑いコンビオードリーの漫才はジャズと例えた一文があった。

それを見て思い出した。
そういえば、筆者はお笑いの世界とヒップホップに類似点が多いと感じたことがあった。

お笑いの世界には多少精通しているが、ヒップホップの分野に関してさほど詳しいわけではないので少しの不安要素はあるが、自分の頭の中が果たしてどうなっているのかを整理する意味も兼ね、お笑い界=ヒップホップ説の構築にチャレンジしてみようと思う。

まず、今流行りのフリースタイルのMCバトルに求められているスキルはアンサーの即興性。
これは相手から言われたディスに対して、即座にアドリブで返すことを指す。

この臨機応変に対応できるフリースタイルラップの能力は、芸人におけるフリートークである。

ネタや大喜利のセンスとも全く違うフリートークの力量は、芸人の地肩がモノを言うことが多く、お笑いのスキルにおける基礎中の基礎だと筆者は考える。

相手がしゃべった言葉に一瞬の間で反応し、面白く打ち返す笑いの反射神経。
自ら提供する話題の切り口も興味深く、それでいて話の展開を無限に広げ、その場のおしゃべりだけで笑いへ変えていくのがフリートーク

ちなみに、ラップバトルではバトル前にあらかじめ考えてきたリリックを使ってラップすることに対し「ネタを仕込んできた」と相手を揶揄する風潮があるが、これはお笑いにおけるエピソードトーク

エピソードトークというのは何をしゃべるのかを事前に準備し、ある意味万全の状態でお話を披露することを指すのだが、これは「引き出し」という言い方もでき、お笑いの世界においてネガティブなニュアンスで使われることは少ない。

だが、完全フリートークの場で、あまりにも出来すぎた話を披露すると、「おまえそれ最初から考えてきたやろ!」というイジりが入ることもあり、この現象が「ネタを仕込んできた」とラップバトルで揶揄することと、ほぼ同じ意味に当たる。

そして、もう1つフリースタイルラップバトルの重要な要素と言われるパンチライン

これは勝負を決定づける印象的なワードをラップの中に落とし込むことを指すのだが、これはフリートークにおけるオチである。
フリートークでもエピソードトークでも、オチの強さが大切なのは言うまでもない。

ちなみにラジオが面白い芸人はフリートークの能力が高い。
フリースタイルラップの巧者は芸人で例えるところのフリートーク巧者だという筆者の勝手な説ではあるが、フリースタイルラップの絶対王者としてフリースタイルダンジョンで2代目ラスボスを務めるCreepy NutsのR-指定氏がオールナイトニッポンのパーソナリティとして好評を得ているのは、この説を踏まえると偶然だとも思えなくなってくる。

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R-指定氏の瞬間でひらめくアドリブ力とトンチのきいた即興ラップ、そして、抜群のタイミングでパワーワードをオトしてくるパンチラインの強さは芸人で例えると南海キャンディーズ山里氏だと筆者は決めた。
返しのワードセンスやトークにおける絶妙な構成力。ズバ抜けたフリートークの達人である。

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そして、ヒップホップを語る上で絶対に忘れてはいけない要素、それは韻を踏むこと。
ラップしながら母音を合わせていく、いわゆるライミングというやつだ。

このライミングが当たり前のようにできるかどうかがラッパーかそうでないかを隔てると言って過言ではない。(たぶん)
そして、ラップ=韻を踏むという決まり事は、アメリカのヒップホップからの流れを踏襲した文化的一面もあると思う。(たぶん)

ようは、きちんと韻を踏んでラップする人はラッパー認定され、その暗黙の了解は文化的に受け継いだ面もあるという私なりの解釈だ。

これは芸人で言うところの漫才やコント、いわゆるネタである。

韻を踏むラッパー同様、ネタをやっていれば基本的には芸人認定である。
そして、漫才もコントも今まで先人たちが辿ってきた道を踏襲したお笑いとしての文化的一面もある。

何より技術的なことやクリエイティブ能力がモノを言う部分であり、お笑いのネタはそう簡単に書けないし、そのネタを演じて表現することも素人にはなかなか難しい。

それはラップも同様で、韻を踏むこととダジャレは紙一重であり、上手に踏めばライミングで、下手に踏めばただのダジャレだ。

つまり、できているようでも不恰好ならば親父ギャグのようにサブい認定されるところまでライミングとネタは似ているのである。

ラップの韻の固さで定評があると言えば、ICEBAHNのFORK氏。

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経験に裏打ちされた技術と完成度の高さ。
そして、決して熱くならずクールに韻を踏み倒す様は芸人で例えるところのバカリズム氏だと勝手に決めておこう。
ネタの魔術師であり、天才的角度から冷静に笑いの爆弾を落とし続ける職人である。

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韻を踏むことにプラスして、ヒップホップを語る上で避けて通れないものがフローである。

フローとは聞き馴染みのない人が多いかもしれないが、ラップをする上での歌いかたのようなものだ。
ようは、そのラッパーのリズムの取り方や節回し、ラップの仕方そのものがフローという考え方で大丈夫だろう。

そのフローに求められるのは、何と言っても格好良さだ。
ヒップホップに興味のない人間さえも振り向かせる魅力は、歌い回しのスタイリッシュさや万人に受け入れられるキャッチーさ次第だと言える。

これは芸人で言うところの、華や好感度だ。

芸人は当然人気商売であり、どれだけ面白くても人気がなければ世に出ることは難しい。

放っておいても人気が出てしまう華や好感度を理屈で語るのは難しいが、大衆のハートをなぜか掴んでしまうポップさと佇まいから湧き上がるオーラは、数多いる実力者たちをもひれ伏させる力がある。

これは、耳馴染みの良いキャッチーなフローでラップを気持ちよく乗せて、いつのまにか大衆の支持を得てしまうラッパーと同じなのだ。

ヒップホップ界で、歌い回しの気持ち良さと心地よいリズム感を武器にビッグヒットを生み出す、その代表格はKREVA氏だ。

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とにかくKREVA氏は日本のヒップホップ界の中で売れた。紅白歌合戦にも出場した純然たるヒップホッパーだ。
それでいて、フリースタイルにも強くバトルの実績も十分。

そして、その世間への刺さり具合とスター街道を真っ直ぐ走っていく王道の売れ方は、芸人で言うところのナインティナイン岡村隆史氏である。
華があり人気があり、テレビタレントとしても超一流。
売れ続けるスターの資質を持たされた神に選ばれし芸人である。

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さあ、ここまでは音楽的技術論に偏った話が多かったがヒップホップは音楽的側面だけが全てではない。

文化としてのヒップホップである。

黒人のカウンターカルチャーとしてアメリカで発祥したヒップホップ文化を日本へ持ち帰り、B-BOYファッションに身を包みながら日本の音楽シーンに一石を投じ風穴を開けた。

J-POP、ロック、アイドルなどで溢れかえる日本の音楽シーンに、アメリカのラップ文化を持ち込みジャパニーズラップのシーンを開拓する1つの革命を起こしたのだ。

その先駆者の1人として日本のヒップホップシーンを今なお先頭で走り続けているラッパーと言えば、Zeebra氏で異論はないだろう。

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Zeebra氏がアメリカのヒップホップ文化を持ち込み、日本の音楽シーンに新しい畑を作った。

これは芸人で言うところの、発明である。

芸人における発明とは、新しい笑いの形を常に模索し、今まで見たことのない刺激を世間に届けると同時に、その新しいお笑いの形がのちに大衆のスタンダードへと変化していくほどのパワーを持つことだ。

彼の出現によって、お笑い界は実に大きな転換期を迎えた。
ダウンタウン松本人志氏である。

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独創的かつ作家性の強いコントや漫才。
刺激的かつ感度の高い笑いを追求したバラエティー企画の数々。
そして、現代にまで続く大喜利の新たなシステムを考案。

知っていただろうか?
今、ほとんどの芸人がやっている、あのフリップに答えを書いて読み上げながら出す大喜利の形を生み出したのも松本氏なのだ。

ダウンタウン以降の芸人のほとんどが松本氏の影響を1%も受けずに芸人を志すことは、もはや物理的に難しいとまで言っていいだろう。

この後輩に対する影響力の大きさもZeebra氏とリンクするところがある。
Zeebra氏を知らずしてラップを始める人も、ほとんどいないと推測される。

そして、今ではお笑い界全体を、ヒップホップ界全体をさらに発展させるべく、2人が業界全体のオーガナイザー的役割になってきているのも共通点だ。

並外れた統率力と強引なまでに時代をも変えてしまう強固な力。

お笑いの世界もヒップホップの世界も同じ。
常にカリスマは最強なのだ。

そして、ヒップホップで最後に挙げておきたい絶対的に不可欠な要素はメッセージ性だ。

リリックを書きトラックにラップを乗せ、音楽として昇華させる。
これはヒップホップにおける作品性であり、メッセージだ。

この作品を通したメッセージこそが我々とヒップホップの架け橋となり、ライブに足を運ぶ新たなファン拡大へとつながっていく。

音源でもいい。ライブでもいい。
この言葉を伝えたい。
言葉や生き様から何かを感じてほしい。
ヒップホップとはそういうものだと筆者は思う。

このヒップホップにおけるメッセージ性とは、お笑いで言うところの説得力なのだ。

説得力とは何かと曖昧に聞こえる言葉かもしれないが、これはお笑いを語る上で非常に大切な要素だ。
説得力とは、今まで歩んできた道のり、越えてきた苦労、ブレずに走ってきた信念、その他諸々の過去がバックボーンとしてその人自身に張り付くことを意味する。

だから話を聞ける。
だから心に入ってくる。
だから、安心できるのだ。

これは能力やセンスを遥かに超越する唯一無二の財産であり、笑いに包容力をも与える不思議なものである。

そして、ヒップホップ界のメッセンジャー代表は、30年にも渡って日本のラップ界をトップランナーとして走り続け、爆発的盛り上がりを見せるライブパフォーマンスでキングオブステージとも異名を持つライムスターである。

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MCを務める宇多丸氏に至っては音楽界だけでなく、サブカルチャーや映画界など様々な分野においても影響力を発揮する存在である。

何より長きに渡りトップランナーに君臨し続ける普遍性。
それはさながら芸人界におけるビッグ3だと言って過言ではないだろう。

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誰もがご存知、明石家さんま氏、タモリ氏、ビートたけし氏である。

奇しくも宇多丸氏はタモリ氏と同様、サングラスがトレードマークになっており、映画界に精通する部分はビートたけし氏と同じである。

そして、ライブを明るく盛り上げるサービス精神は明石家さんま氏と共通した部分であり、ライムスターの持つインテリジェンスさとシニカルな側面、そして人々をハッピーにさせるパーティー感にもビッグ3との接点を感じる。

お笑いの世界もヒップホップの世界も、いかに分厚い説得力を身につけて生き残れるかが最後の聖戦なのだと結論づけよう。

さて、お笑い界=ヒップホップ説はいかがだっただろうか。

多少ムリヤリ感がないわけでもないが、共通する部分を少しでも分かってもらえたら幸いだ。

実は、この説を思いついたキッカケは、ヒップホップにサンプリングという文化があるというのを知った時だ。

サンプリングというのは、過去にあった音源や歌詞の一部を抜粋して引用することで、知らない人からすれば、それはパクリじゃないの?と言われてしまう文化でもある。

しかし、これは基本的にリスペクトの気持ちを込めたオマージュで、同業界の先人たちや過去の音楽にスポットライトを当てながら自分を表現する手段として、ヒップホップ界では当然のごとく存在するものだ。

実はお笑い界でもサンプリング文化というものは存在し、敬意を込めて尊敬する先人のギャグをやったり、誰かの影響下で笑いを作る場合はある。

もちろんパクりはいけないが「自分で何もかも考えました」「全てがオリジナルです」という顔をしている芸人に限って、薄っぺらいものを披露しているのも一方で事実なのだ。

何より、偉大な功績を残してきた先人に対して「古い」「時代錯誤」などと言っている人たちが生み出すものでは笑えない。

お笑いもヒップホップも歴史は脈々と受け継がれ、現在に至っている。

 

その美徳はまさに人間固有
偉大な歴史的モニュメント級
つまり
ご先祖たちの探求に一個付け足す独自の
ブランニュー
とかく侮りがちな
ミーとユーとユーとユーたちに喝入れる直球


ライムスター K.U.F.U